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自由落下で思ったことをチラシの裏に #わいる日記

by
わいる
わいる
自由落下について数日Twitter上で議論が噴出したのを見て思ったことが色々あったので備忘録として書き留めておく。

Twitterで書くと文字数も足りないし今更蒸し返すのもアレなので。

ここでは勝ち確自由落下について取り扱う。
自分の勝利が確定した状況で、ぷよの操作をせず、自由落下させることだ。

容認派としての自分の話
まず自分の意見を述べると、自由落下は自由にやればいいと思っている(自由だけに)。
一方で、自分はあまり自由落下はしないようにしている。人に嫌われるのは嫌いなので。

「嫌がる人が多少なりともいるのだから、やめるべき」という意見には賛同しかねる。決して相手に迷惑をかけているわけでもないのに、特に理由もなく行動の変容を求められるのはストレスにしかならない。自由落下してる間に水を飲むでも休憩のためでもスマホいじるでもなんでも良いが、合理的な行動ですらある。制限される謂れは無い。

そもそもぷよぷよ再開した頃なんかはセカンドというものすら知らなかったので本線を打ったら自由落下だった。多くの初心者が同様であるように思う。
Twitterを開設して半年くらいしてようやく自由落下を嫌う人もいるということを知った。その時はめんどくさい界隈だなと素直に思った。知った後はしかたなく適当に積んで操作してる感を出していた(今でも片手でスマホいじりながら回転無しで適当に置いてる時もある)。

最近、海外勢の大会に参加したりもして、海外勢とやる機会も多かったのだが、そちらでは多くのプレイヤーが普通に自由落下をしていたように感じた。「自由落下をしないようにする」というのは、日本のぷよぷよ界のTwitter村の村ルールでしかないと思える。

公式の大会などでプロも時折自由落下をしているが、何か問題になったのを見たことがない。その程度のマナーであるという認識である。

一方で、対戦相手をイラつかせる目的で、悪意ある・煽りを意図した自由落下というものがあるのなら、それには怒りを覚えるのは確かだ。

つまり、悪意を持って能動的に自由落下するのは確かにいただけないが、そもそも操作したくない時に操作しないのは自由であるべきじゃないかってことです。


否定派の意見

よく見かける否定派の意見は
「それなりに自由落下を嫌ってる人がいるのを分かっているのだからやらないべき」
というもの。これは本質的ではないし、悪質な主張であるとすら思う。自由落下そのものに何らかの不満があるのであれば、そちらを主張すべきで、これではマイノリティを弾圧するヘイトスピーチと何ら変わらないのではないかと思う。

次に見かけたのは
「スポーツマンシップ・美学に反する」というもの。これは少し面白いと思った。
たとえ結果が決まっていたとしても、最後まで通常通りに闘う方が美しいという考え。たしかにそうかもしれない。そうであるならば負け確時に高速落下して自分で負けるのもNGだったり、負け確あるいは勝ち確での発火はした方がよさそうに思える。
eスポーツ・ショーとしてはたしかにそうかもしれない。であるならば例えばプロ同士の試合などにおいて、そのようなガイドラインを設けるのはありなのかもしれないと思った。
しかしながら、普通にプレイしてる人の普段のゲーム中の振る舞いにおいてもそのような美学が他人に強制できるものとは思えない。

(追記:蛇足だが、美学でいうと、勝ち確自由落下は「勝敗が決し、完成した闘いに余計な手を加えない」という美しい行為とも言えるのではないだろうかと思った。一つの行動には色んな見方がある。)




少しイラつくことは確かにある
僕自身が自由落下にイラついたことがないのかというと、ないわけではない。

そもそも自由落下される時って敗北する瞬間であり、自由落下に関係なく基本的に不快な瞬間である。

まだゲーム理解が浅い時などは、自分が敗北するのを理解するよりも先に相手が自由落下していて、「あっ今から俺負けるんだ...」って悲しい気持ちになったこともある。

その時に、敗北する自分を責める感情を、対戦相手を(マナー違反している)悪者に仕立て上げることによって相手への悪感情に転嫁するのは自分の心を防衛するための反応であるとも言える。

そういう考えを強めると、単に自由落下してるだけの相手が、悪意を持って自由落下しているように見えてしまう。
または「自分は不要なマナーと思いつつも守っているのに」と守っていない相手への悪感情を強めてしまう。

しかしこれはとても危険なことで、本質的には自分自身への怒りが根底にあるので、連敗してる時に自由落下されると過剰に怒りに囚われるし、繰り返しているうちに自由落下に過剰反応を示すようになる。

それが僕はとても怖いと思う。

自由落下を蛇蝎の如く嫌う人で、何がいけないかハッキリ言えない人は、このような感情の推移を辿っているのではないかと想像している。
本質的にはイラつく側の問題であると考えている。





まとめ

要するに「自由落下をしない」というのは、合理的な理由のない謎マナーの一種であると思える。
そしてマナーというものは、オープンな場においては他人に押し付けていいものでは無いと思う。マナーを大切にしてる人においても、自由落下する人を毛嫌いするのは構わないが、怒りは内に留めて欲しいなと思いました。怖いので。


以上。

(何か「自由落下はここが悪!」みたいなのが他にあったら教えてください。)
更新日時:2020/10/24 16:30
(作成日時:2020/10/22 01:17)
コメント( 17 )
17件のコメントを全て表示する
すーぷ
すーぷ
2020年10月24日 15時47分

投稿お疲れ様です。個人的に自由落下は悪という意見は、1部の強い意見が先行してるように感じてました。自分のやり方に従わないとダメ、納得できないと批判することが多いです。
自分たちが決めたルールを守っていない人は、晒されるのも見てきました。悪意のあるカサカサや自由落下をしていないのにも関わらずです。勝てなかったいらだちを相手にぶつけてるが自由落下は悪という意見では無いでしょうか?

わいる
わいる
わいる
2020年10月24日 16時27分

>スープさん
コメントありがとうございます。批判する声は大きく映るので、実際に本当に忌み嫌ってる人ってそんなにいないのかなと思っております。おっしゃるように、自分の中に生じた怒りを相手に押し付けてしまう部分もあるのかなと思います。僕自身もそのような感情がわずかながら芽生えることがあります。そのような一部の強い意見をきっかけに、そんなに強く批判しなくてもいいじゃないかと伝えたく、この投稿に至りました。

CL
CL
5時間前

5年前の投稿ですが私なりの意見を。
壮大な話になるかもしれませんが、日本の教育における「最後まで戦え」という教えが刷り込まれている人間が
大多数居るのが原因ではないかと思われます。
時間制のスポーツ、例えばサッカーやバスケ等において大幅な点差が付き、理論上勝ちが確定したその瞬間チーム全員が足を止め、棒立ちし体を休め始める光景は恐らく日本全国で見られない光景だと思われます。
そんなことをすれば先生や顧問にどやされますし、最後まで戦うことを強要されます。

しかし、大会が控えているためケガのリスクを負わない、疲労を貯めないようにするなど、足を止める合理的な理由はいくらでも出てきます。それでも、日本の教育においては「最後まで手を抜かず戦うことが相手への礼儀になる」という言葉が呪文のように生徒へ刷り込まれます。それが良い悪いに関わらずです。

勝ちが確定した瞬間に手を抜いた ⇒ 先生や顧問に怒られる ⇒ つまりこれは悪いことなんだ、と、例えそれに合理的な理由や背景があったとしても、反射的に悪だと感じでしまうのではないでしょうか。
であれば反論する人間が合理的な意見を持っていないことがあるのも頷けます。その人にとっては、自由落下 = 悪 と言うのが根本に存在するからです。そこまで行くとその人間が持つモラルの部分に根差していると思われますので、殺人 = 悪と同じレベルで自由落下は悪だとなるのではと愚考します。

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