ハンドルネームの阿佐ヶ谷サタンの由来についてお話します。
私が大学生のころ、秋葉原のゲームセンターには大型の筐体があり、画面は大型スクリーンに映し出されていて、ぷよぷよ通の基盤が稼働していました。
そのゲームセンターの強豪のハンドルネームが電気街アルルだったので、その人に対抗して当時私が住んでいた阿佐ヶ谷とぷよぷよ通のラスボスの
サタンを組み合わせて阿佐ヶ谷サタンとしました。
まだ階段積みしか組めず、大連鎖の組み方も分からなかったので、常連の田中浩生さん(初代名人)に折り返しの組み方を教わりました。
練習してだんだんと鍵積み(挟み込み)もできるようになりました。CPU戦では一度だけ18連鎖ができました。
地方大会で3回優勝し、シルバーカードの10級から初段に昇級し、AJPAから初段のゴールドカードを貰いました。
その頃、明大前のゲームイン並木というぷよぷよの聖地があり、そこでの大会の3位決定戦で4強のKuroroさんに勝って3位になりました。
初段以上の人しか参加できない昇段戦が東京ゲームショーで幕張メッセであり、予選でミスケンと当たりました。私が一本取って相手が一本取り返し3本目で大連鎖を発火すれば勝ちでしたが、緊張で手が震え操作ミスをしてしまい負けました。幕張メッセの大きなステージ上で戦うのはかなり緊張しますが、またとない経験になりました。
私の戦法は飛車ちゅうさんとよく似ていますが、コンパイル時代に編み出した私オリジナルの戦法です。
千葉のぷよぷよ普及団体のCPAに所属していて、この頃に隻眼のシオンさんやdoppelさんやKuroroさんと知り合いました。
あっちゃんやコンパイルの社長とも食事に行ったりしました。
コンパイル時代はぷよぷよ大会の景品が豪華で、よくぷよぷよのぬいぐるみを貰ったりしました。
電気街出身としてはアルルさんの名前見ると胸熱です