なもこです
そういえば、改めて自分史を纏める事が無かったため
#ぷよらーアドカレ2024並走部に便乗する形で書き殴りたいと思います
年号などは記憶内のものなので多少ズレがある事をご容赦下さい
はじめてぷよ!(1992年頃~)
1992年頃、幼少期の自分が親族の家に行った際に初めてSFC版の初代ぷよぷよを触った
生まれて初めての対人ゲームで10歳以上年上の従姉にコテンパンにされ、泣きべそをかきながらゲームソフトを借り、毎日のようにストーリー(CPU対戦)を行った結果、気づいたら従姉に勝ち越すようになる
ストーリーではぞう大魔王が超える事に最も苦戦した事を今でも覚えている
この頃にはもうぷよぷよが1番好きなゲームで、従姉に勝てるようになってからも一人で毎日何時間も遊んでいた
実力は自力で4~5連鎖組める程度だった
漫画ぷよ!(???年)
非公式の4コマ漫画が本をボロボロのボロになるまで毎日のように読んでいた
アルルからシェゾに対するあれ嫌度(95%)ネタや、「スキヤキポテト」の水虫ネタは今でも記憶に残っている
地元で最強!(1995年頃~)
小学の下校後に同級生数人と施設に通っていて、そこでSFC版ぷよぷよ通が流行っていた
私は幼少期からずっと続けていたため、「地元で最強」に
この頃から自分よりぷよぷよというゲームが強い人はこの世にいないと信じて疑わなかった
実力は、カエル済みで最高8連鎖(または大量同時消し)程度だった
ぼっちぷよ!(1997年頃~)
ぷよぷよ流行が終っても1人でぷよぷよ通~ぷよぷよSUNを遊んでいた
自分自身で遊ぶのも好きでしたが、ぷよぷよ通ではトーナメント形式でCPU同士を戦わせてそれを観戦する事が好きだった
その後ぷよぷよSUNが発売、ここに「トーナメント機能」が搭載されていた事に感動を覚えしょっちゅう遊んでいた
なぞぷよのシミュレーター機能を使って大連鎖を構築するのも好きだった
実力は、(階段積みという概念を知らなかったので)独自の汚い形で最大10連鎖くらいだった
当時家が友達の遊び場になっていて、N64版スマブラやマリカ、ディディーコングレーシングが流行ってましたがたまにぷよぷよSUNで遊んで貰うも負ける事がないためつまらない思いをさせていました(笑)
井の中の蛙、大海を知る…(2002年頃~)
1999年頃からインターネット(主にポケモン系)に入り浸っていた私は2002年頃初めてぷよぷよ2ちゃんねる(通称2ぷよ)の存在を始めて知る
「地元で最強!」の頃から自分自身が世界最強だと思っていた自分はワクワクが止まらず挑み………ここで大海を知る事になった
また、階段積みを知るきっかけになり、ここから徐々に腕を上げる事となる
フィーバー邂逅。(2004年~)
PS2版ぷよぷよフィーバーを発売日に購入、新しいゲームシステムに激震が走った
2ぷよで対人を行っていたが、フィーバー合戦がとにかく楽しかったのと、コンパイル時代は自力で3~4連鎖だったCPUが7~8連鎖組んでくる事に感動を覚え、再びCPU戦に打ち込んでいた
ルールも「甘口」に変える事でフィーバーに入りやすくなり、対戦相手も一番合戦が長続きするカーバンクルを選択していた
ほどなくしてぷよぷよフィーバーWindows版(ぷよぷよフィーバーオンライン)発売前のβテストに参加
ぷよぷよフィーバーの話題性から初心者も大量参入し、猛者ひしめく2ぷよと比べて大分全体レベルも下がっていたため勝ち越す事が出来た
フィバオン没頭。(同2004年~)
ぷよぷよフィーバーオンラインも正式版リリースされ、学校がある中家にいる時は寝る間も惜しみ朝4時頃まで常に遊んでいた
オンライン対戦も好きだったし、ロビーで行われていたオンライン大会や後に実装されたトーナメント機能で盛り上がる様子を見るのも好きだった
ニコ生主「もこな」(2009年~)
これまでのプレイ量は膨大だったが、ぷよぷよでのHN「NONAME」(初期設定で大量に被りがいる)でチャットもROM専、戦績もよくリセットしコミュニケーションも行わなかったため自分を知る者はいないと思われる
そんな中フィバオンのバージョンが2.0になったタイミングでIDは戦績リセットが出来なくなったため自分の戦績が残るようになった
上記に加えてニコニコ生放送が実装され、自分も生放送をしたいと思った事がきっかけでこれまで使っていたアカウントを「もこな」に改名する形でニコニコ生放送や動画投稿を始め、ぷよぷよの繋がりが出来るようになった(後になもこに改名し、今のHNとなる)
この時のニコ動画アカウント
https://www.nicovideo.jp/user/12564550/
一時は通のトップ層に(2013年頃)
フィバオンにも「クラシック」という通ルールの対戦機能が実装され、AC通界隈とは別軸でオンライン対戦界隈の中では1番盛り上がっていた
2010年頃、「フィーバーはトップ層だけど通はそうでもなさそう」という評価に対して、若さ故の意地で通も出来る事を証明するべくフィーバーをやめてクラシックルールに打ち込んだ
結果、
ぷよぷよ段位戦ではトップ層となる5段となり、後に開催される
ぷよぷよクラシック最強決定戦の出場権を勝ち取り、同時接続数1500人いる大観衆の中、直近まで長期間全1だったくまちょむさん相手に28-30の大接戦まで持ち込めた事は通史上最高の思い出でした
これがその試合の配信アーカイブを動画化されたものです
なもこ vs くまちょむ
さようなら、ぷよぷよ(2014年~)
当時社会人になりたてで、仕事の疲れでぷよぷよに集中出来ない日々が続いた
幼少期から2013年の栄光の頃までは毎日何時間もぷよぷよに触れていたが、この頃には積極的にドラムやバンド活動を行っていた事と、一時的に生活基盤が変わった事がきっかけでぷよぷよとは距離を置く事に
とはいえ月に2-3回くらい、その時その時で住んでいた地域に近い津田沼エースや高田馬場ミカドといったACぷよ通のオフライン対戦会に参加しその時のみひっそりぷよぷよに触れていた
ただいま、フィーバー(2016年~)
津田沼エースでよく顔を合わせていたメンバーとぷよぷよクロニクルの発売にあたって3DS買ってぷよクロやろうぜ!となりぷよクロ発売日にゆる~くオンライン対戦も始め、これきっかけで7年ぶりくらいにフィーバーに触れる事になった
7年前はフィーバーのトップ層だったはずの自分でも、当時遊んでいたプレイヤーに全く敵わなく衝撃が走った事が記憶に新しい
2018年にはフィバ勢の身内で大会やるか~と軽い気持ちで後のFEBALIシリーズ(第○回ぷよぷよフィーバーリーグ)となる大会を開いた
現在へ(2018年~)
こうして本格的にオンライン対戦を再開し、実力も取り戻していった
ご縁があって規模感が大分上がる形で第2回大会以降を主催、
第3回大会では主催者自らS級を優勝してトップになる
ぷよぷよフィーバーが好き+ものづくりが好きだったためもの凄い熱量で(笑)
YouTube活動を始め、登録者1万人を達成する
こんな感じです
最後まで見て頂きありがとうございました!