ぷよらーアドカレ2024も終盤となってまいりましたが、ふと書きたい事が出来ましたので賑やかしとして並走部に参戦させていただきます。
対戦宜しくお願いします。mojaと申します。
まず、始めに告知です!
12月29日(日) 第4回 ぷよぷよ立川WILL杯 開催───────
立川駅にあるゲーセン「WILL」で、AC(アーケード)ぷよぷよ(初代/通/eスポ)の大会があります。
今やなかなかないゲーセンでのぷよ通イベント、皆様ぜひご参加ください。
エントリーは↓のぷよキャンから!
https://puyo-camp.jp/events/16538
皆さまぜひご参加ください!
さて、簡単にですが自己紹介。
mojaと言います。名前の由来は見た目です。ご想像ください。
07年ごろにぷよぷよフィーバーのカーニバル版が無料と聞きぷよぷよを本格的に開始。09年ごろから東京近郊のぷよぷよサークルやACぷよ通対戦会に参加、2011年3月に大学院卒業・就職とともに名古屋に移りました。。
趣味はぷよぷよ(ぷよらーなので)、音ゲー(BeatmaniaIIDX、ポップンミュージック)、バドミントン、キャンプ(絶賛ぷよらーキャンパー募集中です)。
ぷよぷよはSwitchレート2600も怪しいへっぽこですが、ぷよぷよで出来た友人たちとぷよぷよしたりキャンプしたり、細々楽しく過ごしております。
この記事では、09年度・10年度の2年間で、どんな対戦会やサークルがあったか、どんな時代だったかを垂れ流しながら、当時の事を振り返ります。
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<ぷよぷよサークル・対戦会>
・高田馬場ゲーセンミカド
この時代のぷよの中心地。09年春に新宿から移転し床面積の拡大によって異次元の集客を可能とした。対戦台3、4セット稼働は当たり前。毎週20~30人が参加するのでそれでも対戦台は足りず、1Fのポップンミュージックに人が流れたことにより多くのぷよらーが音ゲーマーとなった。
閉店まで当たり前のようにぷよる為、多くのぷよらー、多くのりべが終電を逃したことから、りべるという単語が生まれた。
対戦会:金曜日 大会:帝王杯
・横浜セブンアイランド
最大の対戦会はミカドだが最強の対戦会は七島との呼び声も高い対戦会。通称七島。
午後は七島第一部と称し若手・初中級プレイヤーが集まり、夕方からは第二部として真のアイランドメンバーが集まり鎬を削るぷよらー虎の穴みたいな所だった。
対戦会:土曜日
・立川オスロー
通称立川。主催のvaniが基盤を持って対戦会を開けないかと相談しに行った所、店長のしぶっちさんに快諾いただき対戦会がスタート。中央線沿線の学生・社会人だけでなく、1時間800円という破格のフリープレイにより関東各地から金欠の学生がこぞって集まった。立川最強を決めるべくリーグ戦(ナルシストリーグ)を開催。ナ・リーグ入りを逃したメンバー達(門番)は門番リーグを開催。門番リーグの下位には肉リーグが存在するなど奇行が目立つ。メンバーたちは立川勢、通称「勢」と呼ばれ(自称し)謎の結束力を見せた。
対戦会:木曜日 大会:立川杯
・秋葉原GIGO
アキバ対戦会。インカム確保・ゲーセンが持続可能な対戦会という点に主眼が置かれ当時珍しい1クレ100円の対戦会であった。対戦会後は焼肉の万世に行くのが常。
対戦会:日曜日
・早稲田大学ぷよぷよ戦術技術研究会
通称戦技研。初代所長がサークル情報誌にシャレで載せたらあれよあれよとぷよらーが集まって設立されたという嘘から出た真。Tom、飛車ちゅうなど多くの有名プレイヤーを抱え、ぷよらーがぷよらーを呼び拡大。大学ぷよさームーブメントを引き起こした。
大会:早稲田大学ぷよぷよマスターズ大会(早大マスターズ)
・HPC / モーゼ
法政大学のぷよぷよサークルHPC。立川と近いため多くのメンバーが立川にも集まった。木曜日だけでは足らんと東小金井のゲーセンモーゼで対戦会を実施。HPCメンバーを中心に立川勢も参加した。
対戦会:火曜日(モーゼ)
<対戦ツール>
・ACぷよぷよ通
当時の対戦の主流。多くの有名プレイヤーがゲームセンターに集い50円玉を恐ろしい速度で消費していった。
なおネットぷよ・ACぷよのどちらが至高であるかについては日夜論争が起き、声高に対戦の主流と言おうものなら2chは三日三晩荒れた。
・MD(メガドライブ)版ぷよぷよ通
AC版に準拠した家庭用ぷよ通だったため、多くのACプレイヤーから家庭用環境として重宝された。
京大祭の大会で使用された事から、予選のバトルスタンプ方式とともに多くの大学祭ぷよ大会が採用した。
なおコントローラーの下入力が異様に左右にズレ、高速落下しているはずのぷよが右に左に走り回る現象、通称サイドワインダーが頻発。メガドラ1よりもメガドラ2のコントローラーの方がサイドワインダーしにくいため皆必死にメガドラ2のコントローラーを集めた。
・ボードマスター
アーケードゲーム基盤を接続し遊ぶためのコントロールパネル。これがあれば、家庭のブラウン管がACぷよ通環境に早変わりした。ボードマスターを持つ家主の家には夜な夜な多くのぷよらーが集まり対戦に励んだ。
・WINDOWS版ぷよぷよフィーバーオンライン
フィーバーのオンラインマッチング対戦が可能。マッチングだけならず01~07のロビーには住民たち(01民~07民)が集い、日夜ぷよにチャットにあけくれた。
Version2へのアップデートによりクラシック(通ルール)でのマッチングが可能になりさらに人気を博すも、ACぷよ通との仕様の違いもあり別ゲーとみなされることも多かった。
WIN版であることからニコニコ生放送での配信や、音声差し替え動画(是非はさておく)によるニコニコ動画が人気を博しぷよらー拡大に対する功績は計り知れない。
・ぷよぷよ! Puyopuyo 15th anniversary
通称ジューゴス。DS版はオンライン対戦が可能だったか、当時はWi-Fi環境を整えるのが難しかった為かあまり主流の対戦環境ではなかった(と思う)。大学サークルの活動で多く用いられた。
・ぷよぷよ7
ジューゴスの次作として登場。キャンセルがサクサク入るためゲームスピードが非常に速かった。
<その他>
・ニコニコ動画・ニコニコ生放送
ぷよ動画のUPと言えばニコ動、配信と言えばニコ生であった。
かの有名な2010年3月のALFvsかめ100先もニコ生。うーん延長延長。
・○○チャット
ぷよらー同士でWebでオープンに連絡を取り合う為に広く用いられ、各対戦会が○○チャットを持ち対戦募集や参加情報などが飛び交った。当時、mixiは全盛期だがクローズドであるためオープンに連絡を取り合うことに向かず、twitterはあるがそれほど人も多くなかった。
・Skype
現代におけるDiscord。対戦会が終わって深夜に家に帰ったら何をするか?寝る?否である。
皆Skypeのグループチャットに集まり、朝まで雑談やぷよ対戦、ニコ生視聴に勤しんだ。
・家主
終電を逃したぷよらーに寝床を提供する神。
その住処はプレイヤーの名を冠し○○邸と呼ばれ多くの難民を救った。
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ここからはちょっと自分の思い出を。
09年の春にサークル情報誌でたまたま見つけた戦技研に参加。メンバーに誘われてミカド対戦会に通い始め、通っていた三鷹の近くにある対戦会という事で立川にも参加。とズブズブぷよ沼にはまっていきました。ぷよぷよは大して強くはならなかったけど、ほとんど毎日ぷよぷよして、誰かに会ったりチャットしたりして楽しい日々を送ってました。
この頃の模範的なぷよらーの一週間といえば、
月~水曜日:大学のサークル活動やモーゼに参加。夜はSkype、ニコ生
木曜日:立川に参加、終電までぷより、夜はSkype、ニコ生
金曜日:ミカド対戦会に参加。家主にお世話になりながらニコ生やボードマスター対戦会。
土曜日:午後から七島一部に参加。そのまま二部にも参加し七島。
日曜日:どこかで大会が開催されてるので参加or万世で焼肉
といった感じで、毎日どこかしらで何かのイベントがある、どっかにいけばぷよらーに会える、という時代でした。ゲーセンや学祭の大会が開かれれば関東のみならず名古屋勢をはじめとする遠征勢も併せて50人、100人と集まることもザラ。
今やぷよの主流はオンライン、おいうリーグが連日盛り上がっているのを楽しく眺めていますが、オフラインでみんなで集まってぷよしてたんだなーと懐かしくなります。おっさんたちがすぐオフラインでイベントを開こうとするのを若い人たちは不思議に思うかもしれませんが、この思い出があるからみんな集まりたがるんだと思います。
と、ここまで読んでくれた皆様にはオフラインでぷよぷよしてえなあと思ってくれた方もいるんじゃないでしょうか?
そうです。ここで冒頭の告知を思い出してください。
12月29日(日) 第4回 ぷよぷよ立川WILL杯 開催───────
立川駅にあるゲーセン「WILL」(元立川オスロー店長だったしぶっちさんが開いたお店です。立川勢の父)で、AC(アーケード)ぷよぷよ(初代/通/eスポ)の大会があります。
今やなかなかないゲーセンでのぷよ通イベント、皆様ぜひご参加ください。
どしどしエントリーは↓のぷよキャンから!事前エントリーをどんどんしよう!忘年会じゃあ!
オフラインイベントの熱気よ再び!
https://puyo-camp.jp/events/16538
最後にぷよらーアドカレ2024企画のさがわさん、素晴らしい機会をありがとうございました。
おしまい