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月夜の道慶橋を超えて  ――メスト世代は諦めない――

by
横えび
横えび
 2012年5月27日、横浜ぷよぷよ聖地ことゲームinセブンアイランド閉店。
 この日あの場にいた七島メンバー達に確認したわけではないが、当時の大まかな認識としては対戦拠点をひとつ喪っただけ。人財とノウハウは健在で立て直しは充分に可能、であった。同年8月に伊勢佐木町サントロペ(現・シルクハット伊勢佐木町)対戦会が発足し初回対戦会へ参戦した時は、ガンダム風に言えばジオンはあと10年は戦えるッッと妄信したものだった――サントロペぷよ通や他のビデオゲーム群が2年弱で撤去され、名古屋もしくは石川ぷよ並の鉄壁を誇った神奈川ゲーセンぷよインフラが程なく瓦解を迎えるとは夢にも思わなかった。

 (※ アイランド閉店時の諸々は10年前の拙作、「聖地のいちばん長い日」も併せてご覧ください)

 “新年に横浜でアーケードぷよ通対戦会が復活するらしい”なる怪情報を入手したのはa-cho閉店の報を知った直後、前々稿をアップした2024年末(翌年始だったか?うろ覚え)だったろうか。横浜実家にほど近い、2023年にオープンしたばかりの新興店舗。鹿島田マットマウス閉店から6年半が経ち、プロ競技化した連鎖界はぷよぷよテトリス & ぷよぷよeスポーツが席巻。首都圏ACぷよ対戦店舗は、新宿スポーツランド金曜会と立川WILL火曜会が残るのみ。地元で久々に嬉しいニュースと喜びつつも内心は、「(新興店でAC通?? メンバーは? 今年は平成24年でも2004年でもないぞ・・)」と半信半疑であった。


 黄金町TINK2階 ぷよぷよ通対戦台 & 配信機材セット。


 初回対戦会は新年1月5日夜。同月末に閉店した四条河原町a-choラストぷよ通対戦会と同日で、翌日から出勤を控え横浜実家から岐阜に戻っていた横えび氏は名古屋GAME BOX.Q3にて「今夜は京都と横浜で対戦会やっとるらしいで」と話題にするのが精一杯。初回対戦会はヨダソウマプロとTINKテトリス勢の方が参戦されたが神奈川ACぷよ勢の来店はなく、年始にしては少々寂しいスタートであった。
 翌日の新年初出勤を凌ぎ帰宅後、TINKぷよチャンネルで当日の様子を見た小職は思わずのけぞった。ゲームオーバー時のスコアランクが、“CKN”で統一されていたからだ。
 PIS-CKN、七島ぷよ通がまだ仲良し台だった1995年にゲーメスト & マイコンBASICマガジンぷよ通スコア全一を獲得したレジェンドスコアラー。スコアアタック100万突破が可能かわかっていなかった翌1996年に世界で初めて90万点を突破、60万前後をウロウロしていた18歳の横えび君にとっては遥か仰ぎ見る存在であった。当時の神奈川にはゲーマーグループ“PIS”の名を冠したぷよらーが3名おられ、うちCKNさんとは最後にお会いした。初邂逅は2002年のセブンアイランドだったが再就職間もない小職は神奈川県民でなくなっており、またサントロペやマットマウスには年に数度しか足を運べなかったため、接する機会はあまり多くなかった。

 黄金町TINKは3月10日から月曜ぷよ通対戦会を開始したものの平日開催とあってか首都圏ぷよ勢からの反応は鈍く、対戦が発生するのは2週に1回ペース。参加者は多くて3人、ふたり(まーちゃろ選手10年ぶりAC復帰、スバラシイ!)いれば御の字。対戦相手が現れない日の月曜TINKは、CKNスコアアタック配信と化していた。対戦ガチ勢、特にプロ直前のスキルを持った人間にとってプレイ感覚の異なるアーケードぷよ通はスコアアタック専用機または無用の長物と化しつつあるとは言え、閑古鳥の鳴く地元配信をただ眺めるだけというシチュエーションは少々つらいものがあった。マットマウスはもちろん、S級リーグも蕨デイトナも松戸ソニックビームも喪われて久しい現状ではこれも已む無しか。
 2025年度も岐阜残留が確定した小職は、仮に月曜休みを獲れたとしても開店1時間後の20時には撤収しないと帰宅できない身の上。協力はしたくとも現地に赴くには小職が自由の身、早い話がクビにでもならなければ手も足も出ず、これではギフ少年ならぬギフ中年(後述)だと自嘲せざるを得なかった。

 2025年5月3日。4ヵ月ぶりに帰省した小職は新横浜から横浜で下車し黄金町へ直行しようとしたが、京浜急行で人身事故が発生しまさかの運休。迂回ルートで再度JRに乗り横浜から関内(奇しくも、セブンアイランドとサントロペの最寄駅)、市営地下鉄に乗り換え阪東橋から歩くハメに。
 アクシデントで1時間遅れ、20時過ぎに黄金町TINK ARCADE gamer's room着。名古屋Q3を少し狭くして2階建てに立体化、もしくは谷町九丁目のマンション地下でオフライン活動していた頃の関西ぷよぷよ道場を地上に出した感じとでも言うべきか。稼働の大半はビデオゲーム、90年代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。また同店はWWE Raw スーパースター明日華ことASUKA様がa-choから運び込んだシューティングゲームが多数出張稼働しており、もう生では観られないと思っていた河原町ステッカーが店内随所に貼られているのには狂喜乱舞であった(ちと大袈裟)。
 仲良し台ぷよぷよ通とテトリスTGMは1階玄関付近にて稼働、隣にASUKA極上パロディウス、背後には格ゲー対戦台多数。もうひとつ驚いたのは、店主のホンゴウさんから連絡を受けたCKN師が22時過ぎにTINKへやって来られたこと。実家帰着予定時刻を過ぎており10分ほど情報交換した後小職のみTINKを撤収したのだが、CKNさんはその後閉店ギリギリまでスコアアタック。こちらの都合で翌々日の対戦会に参加するとは約束できず、申し訳ないことをしてしまった。



 2日後、5月5日夕方。野暮用を片付けKQ黄金町へ直行した小職は、夜の帳が降り始めた道慶橋を超えTINK開店一番乗り。この日はぷよ通のみならずマジカルドロップ対戦会、またテトリスや戦球ガチ勢らも多数来店され、複数パズルゲーム会と相成った。1階にマジドロ配信台が置かれた代わりにぷよ通が見当たらず驚いたが、ホンゴウ店主に「月曜ぷよ通は2階で対戦台ですよ」と促され別室へ。
 1時間ほど慣らしスコアアタック(いつの間にかぷよ配信が始まっていたが、小職はそれに気付かず)していたらCKNさんご来店、この日は他メンバー参戦がなかったため2名で合計90歳越え(※小職の方が年上です)の超オッサン対決。実家帰宅後にTINKチャンネルで連戦内容を見直したのだが、これがもう赤面もの。岐阜から来たんだけど誰か泊めてくれんかねタナカッチ世代にも拘わらず、1時間超の対戦で先折りGTRを組んだのは一度だけ。階段とカギ積みとseta式速攻と本線即撃ちとシンクロ発火と先撃ちと即撃ちと即撃ちと即撃ちオンパレードで中盤戦と現代ぷよブッ潰すぜヒャッハーと時代遅れの蛮族プレイそのもの、オグリキャップ新笠松音頭を目の当たりにしたベルノ北原コンビ気分に陥った。小職は前日と同じく22時半過ぎに撤収したがCKN師はこの日も閉店までスコアアタック、自己2位の115万を叩き出されたのは流石の一言。(5月5日配信アーカイブをご視聴あれ?!)

 翌月曜の12日はEVO Japan 2025休業のため、残る5月対戦会は19日と26日。小職は5月6日に岐阜へ帰還したため参戦は不可能だったが、興味を持ってくれそうなメンバーにDMやリプライ等にて宣伝 & 宣伝。19日は現ゲーセンぷよ通スコア全一(145万 江古田えびせん)のマムル選手が前々日の藤江レジャラン⇒TINK連闘にて初参戦、まーちゃろCKN3人連戦。週末の5月25日には立川WILLと黄金町TINKによる大規模な格ゲー対抗戦が開催され(祝TINK勝利、ヨコハマシカカタン!)初の3週連続対戦となったTINKぷよ通もこの流れに乗れればと願ったが現実は甘くなく、5月26日は対戦者が現れずCKNスコア配信。試用期間(?)の3ヶ月が終了し5月インカムで対戦会存続可否が決まると聞いていただけに少々不安の残る結果となったが、良くも悪くもこれが精一杯と考えるべきかもしれない。

 七島閉店から13年後の5月27日。現時点で6月TINK営業予定は出ておらず、黄金町ぷよ通が夏以降も維持できるかは不透明。先行きが明るいとは言えないかもしれないが、拙乱筆長文を我慢してお読みくださった皆様が少しでも黄金町TINK、アーケード版ぷよぷよ通に興味を持っていただければと願ってやまない。


(ここから先は余談)
 立川WILLオープンから遡ること四半世紀。前々稿にて記載しましたゲームinナミキ明大前も、毎週火曜日が対戦会でございました。ぷよぷよ通対戦台3セット常設稼働、1996年8月ナミキグランプリでは128人トーメント開催。セブンアイランドぷよ通が対戦台になった後の横えび君も、火曜日だけは明大前に通い七島営業に励んでおりました。
 夏休みのナミキでは、ギフ少年氏(仮称)が毎週火曜日に名古屋から新幹線で(!)ナミキに通っておられました。もう時効だと思いますので書いてしまいますが少年氏は16歳に達しておらず、18時以降ゲーセンにいるのは明らかに警察案件でございました。周囲もそれは薄々気付いておりましたが咎められるようなこともなく(?)、閉店近くまでナミキに居座り閉店後はぷよらーの誰かに泊めてもらっていたそうでございます。(宿を確保できなかった晩もあったそうですが、その時は・・ ウワ何するやm)
 小職は実家住みかつ明大前から横浜まで距離があり彼を泊めることはできませんでしたが、翌1997ゴールデンウィークに小職が名古屋遠征(千種ゲームセンターことパシオン。当時のNPA(名古屋のぷよ通を熱くする会)本拠地)した際は、岐阜駅からほど近い豪邸へ無料で泊めてもらう僥倖に恵まれました。(少年氏がご自宅に連絡を入れず小職を連れて行ったため、玄関で追い返されるのではと内心ビクビクものでございまs 予告なし訪問だったにも拘わらず少年氏のご家族から歓待を受け、また翌日は岐阜駅前のゲームセンターあんくるTOMでタナカッチ師と対戦できたのも佳き想い出でございます。
 小職がナミキに通い始めて今年の7月で30年、アラフィフ中年と化した横えび氏が岐阜名古屋から首都圏AC対戦会へ。歴史は繰り返すとでも言いましょうか、禍福は糾える縄の如しとしか申し上げようがございません。

更新日時:2025/05/27 23:20
(作成日時:2025/05/27 22:17)
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