3621

Back to the 1995 ~バンプレスト杯の記憶~

by
横えび
横えび
 1995年7月30日、池袋サンシャイン60。
 18歳の横えびくんが初めてゲームinナミキ明大前へ足を踏み入れた数日後、東京都豊島区にてバンプレスト・AJPA(全日本ぷよ協会)共催のぷよぷよ公式大会が開催された。ナミキへ行った目的の半分はバンプレスト杯の事前練習で、対戦経験が皆無に近かった私にとってはナミキでの対戦は貴重なスパーリングになる、はずだった。
 ところが現実は違った。スーパーファミコン版ぷよぷよ通はまだ発売されておらず、バンプレスト杯は初代ぷよぷよの大会だったからである。相殺なしのガンマン対戦は、当時の私には未知の領域だった。

 
 大会前夜はまったく眠れなかった。AJPAの大会に出場するのは初めてだった上、初出場がいきなり全国大会だったからだ。現在の私は、大規模な大会に出ることになったとしても前夜眠れなくなったりはしないだろう。思えば当時は純粋だった。
 真夏のサンシャインに、全国から1,200人のぷよらーが集結した。参加者の多くは小中学生とそのご家族で、大学生の私はやや場違い感は否めなかった。
 大会開始直後(もう少し後だったかもしれない。忘れてしまった)に、大会主催者から「すーぱーぷよぷよの売上が150万本を突破し、本日はその記念イベントである」という趣旨の説明があった。子供たちを中心に歓声が上がったが、私には説明やら待機時間やらは苦痛でしかなかった。横浜の自宅を出てからかなりの時間が過ぎていた上、待たされることは大の苦手だからである。こっちは疲れているんだからとっとと始めてくれ、ぷよ1の1本勝負だから階段と速攻でアァッと言う間に優勝だ、インタビューのコメントは・・ などと配布されたばかりの大会団扇をバタバタ仰ぎながら勝手なことばかり考えていた。その時は気付かなかったが、私は戦う前から消耗切っていた。

 
 私は3回戦で負けた。(4回戦だったかもしれない。忘れてしまった)開始早々に置きミスをやらかし、力を出す暇もなかった。スーパーファミコンのパッドを触るのは3年ぶりだったし、全国大会の雰囲気を甘く考えていた。強者はもちろん初心者の子供たちも、皆自分なりの戦略を出し切ろうと必死だった。お山の大将でしかなかったあの日の私では、優勝どころか上位進出も夢のまた夢だった。
 知り合ったばかりのナミキぷよらー組も、大会途中で次々と脱落。やることがなくなった者たちはサンシャイン地下ゲーセンの“ゴリラ”へ流れ、10台近く稼動していた初代ぷよぷよを稼ぎまくっていた。

 バンプレスト杯を制したのはピンボールの達人、ナミキのたかはしKさんだった。1本先取のトーナメント戦を全試合千切りの少ない挟み込みで勝ち進み、2本先取になった準決勝・決勝戦もストレートで快勝。準決勝直前のインタビューでは「(優勝?)もういいです」とコメントし、優勝直後は「皆さん、挟み込みを覚えてください」と実に謙虚に答えていた。
 ところが圧巻だったのはこの後で、エキシビションマッチに登場した初代グランドマスター真音ぱの君がKさんに5-1で圧勝。Kさんの挟み込みを、綺麗な速攻と催促で徹底的に潰しまくった。控え目なコメントに終始したKさんとは対照的に真音ぱの君は「勝てばなんでもいいんだぁ~ッ!!」と絶叫、観戦者達から暖かい大ブーイングを浴びていた。まさに横綱相撲であった。

 大会後の打ち上げや、池袋GiGOに流れての対戦にも参加した。池袋GiGOには4人対戦専用のぷよぷよ通が稼動していたが、対戦者が多過ぎて結局一度も乱入できなかった。打ち上げ会場で仁井谷正充
社長に初めて会った時は、MSX以来のコンパイルファンだった私には衝撃だった。「えッ こんな簡単に会えるの!?」というのが正直な感想だったが、緊張していたせいか、あの時何を話したか全く覚えていない。8月に発売予定のセガサターン専門誌を見せてもらい、他愛もないお喋りを交わしていたような気がする。

 ぷよぷよ初の全国ツアー大会を直前に控えていた当時。皆がぷよぷよに無邪気な夢や希望を抱き、この繁栄は永遠に続くものと誰もが信じていた。
 コンパイルもAJPAも4人対戦筐体もナミキもゴリラも今はなく、当時を偲ぶ資料は皆無に等しくなっている。バンプレスト杯の記憶は我が脳内にしかなく、もしかしたら記憶違いも混じっているかもしれない。断片的な記憶を、寄木細工の如く組み立てて書き記してみた――――それは今となっては、忘れようとしても思い出せない夏の思い出。
 

(ここから先は余談)
 昔は良かった感丸出しで恐縮でございます。直撃世代の方やあの日サンシャインにいた方がおられましたら、加筆修正など小職まで是非ご指摘ください。
(この後、初代ぷよぷよの全国大会は開催されましたっけ?どなたか詳しい方ー!)
 サンシャイン文化会館のザ・ゴリラ(ゲーメストスコア申請店)はレバー技可能な初代ぷよぷよが10台前後稼働していたのに対し、ぷよぷよ通は1台しかございませんでした。当時は不思議に思っておりましたが、今にして思うとこれが妥当な判断だったのかもしれません。
 バンプレスト杯から15年後の年末、伝説のあの人が同大会にこっそり(?)出場されていたことをご本人から伺いました。更にその翌年秋、池袋GiGOで開催されたぷよ通大会にて、へーょまはプロと小職が優勝を賭け激突することとなります。
更新日時:2018/07/29 20:20
(作成日時:2018/07/29 12:00)
コメント( 3 )
ムナパパ
ムナパパ
2018年7月30日 18時12分

横えびさん、私もこの大会参加してましたよ!!懐かしい~
戦績は2回戦敗退でしたけど、最後まで残って観戦してました。
その時の参加賞や景品は今でも大事にとってあります。
決勝戦やエトセトラはちょっと記憶から遠ざかってましたが・・・
その年のばよえーんツアー東京でゲームボーイ持参でも対戦可だったので
一応初代対戦は可能でしたね。
また何か思い出したら追記します。

横えび
横えび
2018年7月31日 22時41分

そうでした、ばよツア95東京は並ばずに対戦しまくれる携帯ゲーム機勢の天下でした!
小職はメガドライブで予選参加しましたが実力以前に試合数が全然足らず、確か15試合くらいがやっとの所を携帯勢はその3倍くらい勝ち星を稼ぎまくってお手上げ。
憤懣やるかたなかった横えび君は観戦放棄し電気街へ直行、シントクアキバで対戦したのは苦い思い出デス。

ムナパパ
ムナパパ
2018年8月1日 10時3分

ばよツアはチケット減るのが恐くてあまり積極的に対戦しなかったなあ(笑)戦績は残念でしたね。悔しさはさておき、一緒にファイヤー叫んでストレス発散してイベントを堪能したのでした(笑)

コメントするにはログインが必要です
シェア