最近始めたばっか、10連鎖もつらい・・・というプレイヤー向けです。
この投稿では「当たり前」と「当然」という同じニュアンスの言葉を使い分けています。初心者の心情、プレイングには当たり前という表現を、上級者には当然という言葉を使っています。
皆さんはどうしてこのゲームを始めたのでしょう?という問いに対して現代的に返されそうな答えとして
〇〇さんがやっているのをみて
というものが多いと考えられます。そうじゃないという人もいるかもしれませんが大抵の人はこの理由ではないでしょうか。
いざ始めてみるとまあ組めない組めない
このゲームやってるやつ頭おかしいんちゃうか
なんて思うのも至極真っ当だと思います。
さて私にしては早くタイトルに触れます。
なぜ上級者のプレイをみないという選択肢を考えるのはどうかと提案するのか、それは
「当たり前度の維持」
という目的のためです。
これだけでは何を言ってるのかが伝わりにくいので補足します。
まず初心者というのは
できないのが当たり前
だということです。何言ってんだこいつ感全開ですが、上級者のプレイというのは
まず初心者には全く理解が追い付かず、〇〇はできて当然の世界
で構築されています。例えるなら小学生が高校数学の授業を受けても理解できない、でも周りの高校生は平然と授業を受けているように見える みたいな感じでしょう(実際、大抵の高校生は高校数学なんて満足に理解できないなんていうのは言ってはならない)
そのプレイの世界に染まっていくと起きる弊害、それは
あたかも自分ができてしまうような錯覚に陥りやすい
のです。しかし現実的にはそのプレイはできません。普通ですね。しかし上級者の世界に染まりすぎると、初心者ができないのは当たり前ということを忘れてしまいます。
となると当然のプレイが前提になっている人はそれができない自分に対してひどく受け入れがたい感情を抱いてしまうでしょう。
つまりまだほとんど何もやっていない状態にもかかわらず「自分にはセンスがない」「ksゲー」とゲームの継続をやめ、プレイすることをあきらめてしまうかもしれません。
そうならないために、あえて上級者のプレイを見ず、つまり当然のレベルは置いといて、
自分のレベルを認知し、今できる当たり前のレベルをコツコツ上げていく
ことを私は提案します。わからんもんはわからんと認めましょう。上級者のプレイの意図なんてそれなりのレベルがなければ理解できません。見たってわかりません。多分解説されても「うんなるほど!・・・うん?」としかならないでしょう。
自分でもまだ理解できそうな基礎からしっかりみていけば大丈夫です。
また自分が始めたばかりだというのなら基礎すら捨てていいと思います。とりあえず適当に組んでみて、適当に2、3連鎖しましょう。まずは
このゲーム楽しい!もっとうまく連鎖できないかな、と自分が思える
までは適当に遊んじゃいましょう。ゲームの基本的な衝動を得られるまでは堅苦しく考えないほうがいいでしょう。
このゲームをやることが習慣になるまで、多少勉強してもいいかなと思えるまで、適当にやってギャハハするのが吉だと思います。