去る2019年5月18日、北海道ぷよぷよ対戦会 in スガイディノス が閉幕し、翌週には、拠点としていたスガイディノス札幌中央店が閉店しました。
私はそれ以来、妙に現実離れした、フワフワした感じがありました。ですが、やっと気持ちに整理がついた気がするので、まとめてみたいと思います。
・ 始めに
・ 私とゲームセンター
・ 私とぷよぷよ
・ 私と北海道ぷよぷよ対戦会
・ 終わりに
・始めに
この投稿を見た方々がまず思うことがあるかと思います。
いや、あんた誰?
ということで簡単に自己紹介を。
名前は「こんどう」と申します。
北海道ぷよぷよ対戦会がスガイディノス札幌中央店で開催されて2回目(2015年2月21日)から参加しており、ぷよ歴はその一週間前からになります。そんなに経つのか。
(クラのオンライン対戦で相手からのチャットで心折られて一日で辞めたのはノーカンとします。)
・私とゲームセンター
さて、皆様にとってゲームセンターとはどの様な場所でしょうか?子供のころから馴染みのある方、大人になってから行くようになった方、色々いらっしゃると思います。
私の場合はこうです。
夢の国
まさにこれです。
私の生まれは決して田舎ではありませんでした。クソ田舎でした。(端的に言うと、小学校3年まで自宅に風呂がありませんでした。)
そんな僻地にもゲームの文化は不思議と届くもので、私は幼き頃からゲームっ子でした。初めてやったのは親戚宅のファミコンでドラえもん-ギガゾンビの逆襲-で、初めて自宅で購入したゲームはスーファミのかまいたちの夜でした。特にかまいたちは私の人生にそう浅くない傷を残し、ゲームにはまるというのを経験させてもらいました。
そんな中、親が札幌に出張する関係で、その待ち時間にゲームセンターに行かせてもらったことがありました。
圧巻でした。
時はバーチャファイター2の実装当初、巨大画面に表示されるリアルな人間のようなアニメキャラの殴り合い、そして夥しい人々。
その列にはさすがに参加できませんでしたが、近くにある格ゲーをちょこちょこやっていた記憶がなんとなくあります。ですが、感情は、はっきりと覚えています。
なんだここは!?楽しすぎる!!
今まで行ったことのある動物園や水族館が完全に霞んでしまうほどの圧倒的魅力、そしてその非現実感。その一日は私の人生に強い衝撃を与えました。
ですが、幼いながらも頭の隅で「ここは自分には縁のないところなんだろうな」というのも子供心ながら思っていました。
なんせ地元アレのでゲーセンという文化もなく、当時は通う手段もありませんでした。
私にとってゲーセンとは、子供のころからの憧れそのものでした。ネズミー的なものと置き換えても問題ありません。
・私とぷよぷよ
ぷよとの関わりは正直ほとんどありませんでした。親戚宅でやらせてもらったとき「あ、これは自分には向いてないゲームだ。」と即座に感じた記憶があります。
ですので、基本的には、操作性要素の少ないゲームを基本的にやっていました。人生で一番やったゲームはおそらくFF6です。ミニスーファミにこれが入っているというだけで即買い確定でした。
時は進み、学生時代、私はポケモン勢でした。やったことある方なら「バトレボ、SSHG」でピンとくると思います。
そしてポケモンには厳選作業というものがあります。簡単に言うと、才能あるポケモンを引きあてる作業のようなもので、それ自体は単純なものでした。
要は、作業中に見る何かが欲しい、普段はポケモン対戦の放送等を見ていましたが、いつもやっているわけではありません。
そんなときたどり着いたのが、かの有名な「割子」動画でした。
何この…なに???
いや、笑わせてもらいましたが、何もかもが意味不明でした。
そこから興味を持ち辿っていくと、当然ぷよの対戦動画に行きつくわけです。
もうすごいの一言でしたね。思ってもみなかった世界がそこにはありました。自分には決して出来なくてもすごいプレイは見てるだけでも面白い。その価値観はそこから生まれたものだと思います。すっかり作業のお供になり、完全に動画勢、そして当時で言うソン軽になっていました。いつえりになったのかそのあたりはちょっとよくわかりません。そんな日々が長く続きました。
・私と北海道ぷよぷよ対戦会
時はさらに進み、私は社会人になっていました。勤務地は地元とほど近い昔より文明の進んだクソ田舎でした。そんな中、動画勢を長らく続けていたこと、その間に格ゲーも見始めたこと(主に3rdなどです)、休みに何か楽しいことをしてぇ!という気持ちからなんとなくゲーセンへの憧れがまた沸々と湧いてきました。そこに漫画「ハイスコアガール」との出会いで衝動が一気に爆発します。
俺もゲーセンで対人戦がしてぇ!!!
とはいえ、その分野で得意とするゲームがありません。あるのは強い憧れだけ。もう覚えていませんが、やみくもにネット検索をかけました。
そこで目についたのが「北海道ぷよぷよ通2月対戦会情報」(であってたっけ?)でした。ぷよの対戦なら日頃から見ています。
たまたまその日は友人と札幌で遊ぶ予定がありましたが、「午前中なら参加できる!しかもあと一週間あるじゃん!」とのことで参加を決めたのでした。
そこから一週間は実際にとこぷよで練習をして当日に臨みます。初参加当初の行動は我ながら恥ずかしい限りですので省略します。
そこで、後に脱北するあくたー君(北海道ぷよ対戦会では、進学や就職等で道外に移動することを脱北といいます)にボコされ、主催者であるところのことさんに指導ぷよみたいな感じで打ってもらい、午前中があっという間に過ぎました。ぶっちゃけ楽しすぎました。答えは一つです。
来月も来よう!!!
それから可能な限り参加してきました。そこには数え切れないくらい楽しかった思い出があります。最終的には店員さんにも覚えていただけるくらいには常連になっていました。
それが上記の通り、終わりを迎えるのはまさに唐突でした。私程度の頭では処理が追い付いていませんでした。
それからも主催者のことさんをはじめ、対戦会継続に向けての活動がなされ、実際に開催にいたっています。敬服の至りというほかありません。
ですが、私の中で違和感が残り続けました。ゲーセン対戦会最終日も何か感慨にふけることもなく、その後の対戦会でも非常に楽しいながらも、正体のわからない釈然としなさだけが残り続けました。
ラグが長かったですがわかったんです。私にとってゲーセンとは夢の国、そこで好きなゲームで最高の仲間と楽しくわいわい活動することは、まさに幼き頃に描いていた憧れそのものだったのです。
しかし、夢は覚めるものです。ゲーセン閉店でそれを終わらせなければならなくて、周りが先に向かって動いているのにもかかわらず、私はおもちゃコーナーの前で泣き叫ぶ子供のように駄々をこねていただけだったのでした。
ヤダヤダヤダヤダ━━━゙凹○゙≡゙凹○゙≡゙○凹゙≡゙○凹゙━━━!!
まさにこんな感じです。お恥ずかしい。
ぷよは好きです。勝てば嬉しいし負ければ悔しくそこから先に進んでいこうという気持ちはあります。
だからこそ前を向かなければいけないんです。昔の楽しかった思い出はそのままに、これからもせっかく出会えた北海道ぷよぷよ対戦会をも過去のものにしないために、自分で踏ん切りをつけなければならないんです。対戦会に出会えてもらった恩を私は返しきれていません。これは勝手ですがね。
ということで、これからも楽しくぷよぷよを続けていこうという至極単純なことを休憩中に思い立ち文章に起こしてみたのでした。
・終わりに
今回の投稿は以上になります。勢いで打ったうえに特に見直してないので駄文失礼します。
自分用日記ではありますが、見ていただいた方がいれば、ありがとうございました。
皆様のぷよライフが素敵なものでありますように。