68

a-choと私の、27年弱

by
横えび
横えび
 京都市中京区の四条河原町、寺町京極商店街に鎮座するゲームセンターこと、 Neo Amusement Space a-cho
 1996年9月にオープンした西日本最大の格ゲー対戦の牙城、音ゲーやレトロゲーやシューター聖地、90年代から全国唯一生き残ってきたアーケードぷよぷよ対戦拠点が、2025年1月31日に営業終了する。
 京都府出身の小職が同店へ通った27年弱に5度の転居と3度の就職を経験したが、当該期間に関西在住経験はない。加齢と共に往年の記憶は曖昧になり、西日本ACぷよ勢の皆様ほどの精度を出せないのは承知で、外からの視点で亜超ぷよを書き遺しておきたい。



1998~2002 コンパイル時代

 就職活動を勝ち抜き(?)内定獲得して少し後。祖父が長期入院しナラケンにほど近い城陽市の母方実家へ一時移住した大学4年生の横えび君は、関西アーケードぷよ対戦会(ハイテクランドセガ紫光(後のGiGO東梅田)、宇治ステーション、南草津ジャングル、a-cho)に入り浸り始めた。
 関西黎明勢の尽力によりa-choぷよ対戦台――――1997年の稼働初期はぷよぷよSUNだったがこの頃にはぷよ通メインに変わっていた――――はAJPA(全日本ぷよ協会)に加盟し、公認大会を定期開催していた。また対戦台すぐ傍には、ぷよノート(ぷよぷよ勢用コミュニケーションノート)や加盟店証も設置されていた。2002年にAJPAが休会しセガヘ版権移譲した後も、AJPA加盟店証はa-cho閉店間際までひっそりと、2階カウンター壁から店舗の盛衰を見守り続けていた。
 ちなみに当時のA-breakビル3階は音ゲー & レトロゲーフロアではなく、別店舗(飲食物注文必須のネットカフェ)であった。当時の小職は携帯を持っておらず、母方実家はネット環境がなかったため、ゲーム代より遥かに高額ネット代をボッたくられる苦い思(記述拒否)



2003~2007 空白と黄昏

 コンパイル破産、城陽実家取り壊し & 横浜移住、a-choぷよぷよシリーズ撤去(後に復活。いつ頃でしたっけ??)、セガぷよぷよフィーバーは、四条からほど近い七条キングに対戦台稼働。
 同時期の小職(当時はグンマー⇒千葉県在住)は秋葉原GiGO対戦台に注力し遠征する余裕は時間的にも金銭的にもなく、関東から外にあまり出なくなっていた。ぷよ通対戦台が継続稼働していた南草津ジャングルは2007年、後継店の瀬田ジャングルも翌2008年に閉店し、関西ぷよアーケードは他地域と同様に苦闘を強いられることとなる。



2008~2015 中興、年長記録

 セガぷよ世代と関西初期勢の尽力、店舗側の協力によりa-choぷよ通復活、週末対戦会再開。三十路を迎えトラウマを克服した(後述)横えび氏も、サンダーバードや東海道新幹線で四条へ再び足を運び始める。
 電気街からIPSに移籍して間もない2012年には初出場a-cho杯を最年長優勝する僥倖に恵まれ(当時の横えび選手は35歳でしたが、その後小職以上のロートル優勝っておられます?)、数少ない勝利の美酒を。調子に乗った横えび氏は能登半島から、首都圏のみならず仙台新潟岡山名古屋静岡京都大阪と遠征の日々をひたぶるに。



2016~2019 ぷよらー競馬部

 2015年に名古屋駅徒歩10分、ひさ店長 GAME BOX.Q3。2016年に通天閣へほど近い谷町九丁目には、けい1老師の関西ぷよぷよ道場オープン。西日本遠征時は阪神競馬場と京都競馬場と中京競馬j 名古屋と大阪へ足を運ぶ頻度が増え、寺町にはあまり足を運ばなくなっていた。小規模店舗贔屓の小職にはa-choの大きさが災いした、と言なくもない。
 このタイミングで書くのは適切でないのは承知で、a-choの将来に初めて不安を抱いたのはこの頃だろうか。台風一過の淀で開催された秋華賞の前日、金沢から始発直行でお邪魔した横えび氏が見舞われたのは唐突の水滴連打、天井の水道管から溢れ出し水浸しになった2階カウンターであった。店舗側の責任ではなかったのかもしれないが、応急処置もなくズブ濡れ営業はなんとも・・



2020~2025 コロナ禍、再消滅、そして

 能登半島から岐阜転居、緊急事態宣言と外出自粛。小職が同店でオフライン対戦できたのは営業休止少し前、シンザン記念から撤収した際が最後だった。感染拡大の影響で対戦会は不定期開催となり、2022年春以降は常設稼働でなくなった。コロナが落ち着いてから再び河原町へ足を運び始めたが、2階の片隅に半ば放置されたぷよ通筐体の残骸と、建物取り壊しでオンライン活動へ移行した関西ぷよぷよ道場は、ACぷよ落日を痛感せざるを得なかった。
 閉店5日前の1月26日、単身ラストa-cho行脚。ぷよぷよ通は年始のラスト対戦会が最後の稼働日だったと聞いており、一縷の望みを賭け開店ダッシュを試みたが、やはり稼働は SEGA all net の ACぷよスポのみ。テトリスTA、上海、パズルボブルといったパズルタイトルは常設稼働していただけに仲良し台でも稼働をという思いはあったが、新作が最後まで稼働している分ぷよシリーズは他タイトルより恵まれていると考えるべきだろう。
 関係各位に心からの感謝を、最終営業日に行脚されている皆さんが心底羨ましい。寒波を吹き飛ばす熱気に小職も巻き込まれたいッッ


 雑駁ではありますが、概ね以上になります。記憶違いや補足などありましたら、是非ご一報ください。
 ありがとう & 永遠なれa-choぷよぷよ、そして関西ぷよAC勢諸兄は総力を結集し密林や道場や亜超の後継地を!




(ここから先は余談)
 1999年7月。4月に就職したばかりの赤と緑の某イタリアンレストラン脱走退職間もない小職は、亡祖父の49日と自身の療養のため城陽実家へ。
 離職直後に祖父一族へ囲まれた不肖の孫こと横えび君は針の筵、いたたまれずa-choへ脱走を図ったのでございますが世の中そんなに甘くなく。寺町京極商店街へ入ろうとした小職の目に飛び込んできたのは、オープンしたばかりの赤と緑の某イタリアンレストラン京都第一号店でございました。世界1,500店舗を突破、現在は四条のみでも3店舗存在する赤と緑の某イタリアンレストランでございますが、20世紀の西日本ではまだレアな存在でございました。
 京都と岐阜へ第一号店を出店すると新人研修@埼玉本社兼工場にて聞いてはいましたが、それが河原町とは知らなかった横えび君は心に深い傷を負い。2001年に再就職した後も、暫くの間は赤と緑の某ファミレス前からa-choへ行くことができなくなってしまったのでございます。赤と緑の某ファミレス四条寺町店は26年経った現在も健在でございますが、3年後にはa-choの営業年数を超えると思うとなんとも複雑な気分でございます。


更新日時:2025/02/01 01:09
(作成日時:2025/01/31 23:40)
コメント( 0 )
コメントするにはログインが必要です
シェア